「AIが作った感」への胸焼けと気持ち悪さの正体
執筆者
小手川周平 CEO
いかにも「AIが作りました」という感じの画像や文章、資料などを見ると独特の気持ち悪さを感じてしまう。
例えば
- 絵文字・アイコンが多用されているホームページ
- 劣化版ジブリテイストのようなイラスト
- 不自然に整った画像
- AI特有の絶妙な絵文字・言い回しが用いられた文章
- プロンプトやAIによる説明が混入している文章
などなど。
アウトプットの質にこだわらない場面(社内説明用に簡単に図を作る等)であればそこまでこだわらなくても良いかもしれないが、やはりAIが作ったものをそのまま成果物として外に出してしまうのはどうしても美学を疑ってしまう。
「AI感」に抵抗を感じてしまう心理
この気持ち悪さには巷に溢れている同じような風味に食傷気味になっているという以外にも背景があるように思う。
同一アウトプットの中でのテイストの不一致
特にイラストとかでAI感を感じるのは顔はイラストチックだが背景だけ写実的、といったものだ。

ホームページや資料などでも、文面の中に不自然に英語が混ざっていたり、ぎょっとするようなカラフルな色使いなアイコンがあったり。
文章でも丁寧な口調と荘厳なメッセージングが混ざっているとウッとなってしまう。
見え透いた手間の省略
ある商材の提案を受けるときに、いかにもAIで作った感のある資料を送りつけられたことがあるが、あまり中身を読もうという気が起きなかった。
資料の中身の質が非常に高い可能性ももちろんあるが、大枠の部分をAIに任せているという時点で、恐らく自分(自社)に合わせて意味のある提案をしてもらっているというよりは、紋切り型の訴求が書かれていて、そして恐らくその内容は自分が既に把握しているものだろうなと感じたのが読む気が起きなかったのかもしれない。
AI感のあるアウトプットは「相手がここまでしてくれたからこちらも応えてあげよう」という返報性の法則と非常に相性が悪い。
作った本人が中身を理解しないままAIで書いたコードをレビューするストレスが話題に上がるのを聞くことがあるが、上記のような背景もあるのかもしれない。
老害的な発想だと思われてしまいそうだが、相手への気遣いは自分が時間や何かを犠牲にしたことで伝えられるという側面もあるように思う。
AIを活用するとしても、やっつけで手間を省略しましたという印象がアウトプットを見せたい相手に伝わらないような工夫はしていきたい。